映画とアニメとマンガの「ダレ場」

| コメント(0) | トラックバック(0)

『神山賢治の映画は撮ったことがない』を読んだ。神山氏は押井守氏の弟子で『攻殻機動隊 STANDALONE COMPLEX』の監督だ。
最近だと『東のエデン』を監督している。

全編、映画たらしめる要素な何かと、神村氏の考察が続いている。
特に気になったキーワードを抜き出してみる。

・疑問と答えの連鎖
・脚本は字ではなく、時間を描くものなり
・「構造」の獲得
・同化効果、異化効果
・ストーリーを越えろ
・映画は体験
・「ダレ場」がないと映画にならない(キャラクターを離れる瞬間)
・映画は世界観とストーリーとキャラクターの組み合わせが全て

今回は「ダレ場」について考えてみる。
アニメは兎にも角にもキャラクターが全て、世界観や場合によってはストーリーも二の次だ。映画とはそこが決定的にちがう。
「ダレ場」とはキャラクターがいなくなる時間。簡単にいえば、アニメだと背景オンリーになるシーンだ。
映画にはこの「ダレ場」がないと映画にならない。といのは、キャラクターに成長の機械が必要だからだ。キャラクターはダレ場で消え、成長して帰ってくる。出続けていると成長する機会がない。
マンガにはこの「ダレ場」が作りにくい。ちょっとでも飽きられると読者は逃げていくからだ。それでもやはり、マンガでもキャラが成長する機会は必要。
ではどうするかというと、その間は別のキャラクターが活躍する。
ドラゴンボールで悟空が修行中は他のキャラで場を持たせる。フリーザ編のベジータやピッコロがその好例。
ナルトでもナルトとサスケが交互にでてくる。

マンガでは複数の主人公格を用意することによって「ダレ場」をつくっているじゃあないかな?

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.hataken.jp/mt/mt-tb.cgi/149

コメントする

最近のブログ記事

映画とアニメとマンガの「ダレ場」
『神山賢治の映画は撮ったことがない』を読…
着地点
大学時代のメモ第4弾。 以下、メモ。 保…
発酵しないヨーグルト(乳酸菌をいれよう)
大学時代のメモ第3弾。 以下、メモ。  …