『神山賢治の映画は撮ったことがない』を読んだ。神山氏は押井守氏の弟子で『攻殻機動隊 STANDALONE COMPLEX』の監督だ。
最近だと『東のエデン』を監督している。
全編、映画たらしめる要素な何かと、神村氏の考察が続いている。
特に気になったキーワードを抜き出してみる。
・疑問と答えの連鎖
・脚本は字ではなく、時間を描くものなり
・「構造」の獲得
・同化効果、異化効果
・ストーリーを越えろ
・映画は体験
・「ダレ場」がないと映画にならない(キャラクターを離れる瞬間)
・映画は世界観とストーリーとキャラクターの組み合わせが全て
今回は「ダレ場」について考えてみる。
アニメは兎にも角にもキャラクターが全て、世界観や場合によってはストーリーも二の次だ。映画とはそこが決定的にちがう。
「ダレ場」とはキャラクターがいなくなる時間。簡単にいえば、アニメだと背景オンリーになるシーンだ。
映画にはこの「ダレ場」がないと映画にならない。といのは、キャラクターに成長の機械が必要だからだ。キャラクターはダレ場で消え、成長して帰ってくる。出続けていると成長する機会がない。
マンガにはこの「ダレ場」が作りにくい。ちょっとでも飽きられると読者は逃げていくからだ。それでもやはり、マンガでもキャラが成長する機会は必要。
ではどうするかというと、その間は別のキャラクターが活躍する。
ドラゴンボールで悟空が修行中は他のキャラで場を持たせる。フリーザ編のベジータやピッコロがその好例。
ナルトでもナルトとサスケが交互にでてくる。
マンガでは複数の主人公格を用意することによって「ダレ場」をつくっているじゃあないかな?
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