富野由悠季 プロ論

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富野由悠季がプロについて語った記事。

  • http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0810/31/news118.html
 みなさん方の時代は不幸だ。コンテンツマーケットの会場にはCGを使った作品が多いが、同じソフト使ってたら独自の物は作れるわけないと思う。みなさんはそう思ってないでしょうが。

過去の芸術家を見ると、ツール自体の研究も行っていた。レオナルド・ダ・ヴィンチもテンペラ技法を苦心して、最後の晩餐を描いたみたい。結果的には脆くてはげ落ちてるが。 表現を考える上では、(古くさい考え方だが)デジタルだけでは幅が狭いのかもしれない。

 手塚治虫先生もそうだったと思うんですが、人一倍寝ないで人一倍ペンを動かす。なぜ腱鞘炎にならないか謎でした。5時間寝たら寝過ぎという体になっちゃっていました。それくらい働いていたというだけ。基本的に体力勝負なんです。

下手な鉄砲数打ちゃあたる、でなく、上手い鉄砲も数撃たないとあたらない、ということだろう。 作詞家の秋元康氏もヒット作を連発している。が、ヒットせず忘れ去られた曲は数倍もあると聴いたことがある。

 そこでもう1つ重要なモーメントは、他人のコピーになってしまうかどうかは、その人が本性的にもってる指向性や方向性に合致しているかしていないかです。11、12歳ぐらいまでにあなたが好きだったものにこだわれ、ということです。その延長線上にあるものと今やってる仕事がフィットするとかなりいい所に行くだろうと言えます。

マンガやアニメや小説は既に二次資料でしかない。既に誰かの加工が入っているため、これに影響を受けるとコピーのコピーにしかならない。宮崎駿も押井守も一次資料の重要性を説いていたナー。

 おそらく、クリエイター、アーティスト、作り手が生身に持っている「俺はこれが絶対なんだよね、お前ら!! これ!」というものが封じ込められていないものは、どんなきれいなキャラクターやストーリーを作ろう、やはりだめなんじゃないのかな。

作品には情念やら、魂やら、匂いたつモノ、生臭さが必要と言うことか。

 めでたさを自分のために手に入れるにはどうすればいいか。宮崎駿さんがある講演会で言っていた、同じことを言わせてもらいます。「自分が手の届く範囲のことを一生懸命やることが一番の宝だ」というのは本当だと思います。年寄りの忠告になるんですけど、それを信じてやってほしい。どういうことかというと、男の人に特に言うが、エロサイト見てる暇あったら自分の技量を磨け。

好きなことに一心不乱で打ち込む。日々に忙殺されると、忘れがちな事。キモに命じておこう。

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